今年の9月1日は、様々なメディアや、色んな大人たちが、それぞれ一生懸命に、子どもの自殺を食い止めようと努力しました。
私も、そんな大人の一人なわけですが、今年は金曜日が始業式だったので、土日を挟んで、再び月曜日から学校ということで、今頃大勢の子どもたちが、引き続き思い悩んでいるのだろうと思うと、胸が痛みます。

「死んでしまいたい」と思い詰めた気持ちを引き止めるということは、そんな簡単なことじゃないし、キレイな言葉をどれだけ並べたって、人の心に届くとは限らないなって実感したので、今回は、「私」のことを書こうと思います。

 

私が、24歳の時、私の父はビルの屋上から飛び降りて死んでしまいました。

自殺です。

現在の私は、通常「自殺」ではなく「自死」という言葉を使いますが、今回は、この「自殺」という言葉の意味を、一人でも多くの人に考えてもらいたいのと、同時に、もう一度私自身がこの言葉に向き合うために、あえて「自殺」と書かせていただきますね。
(私自身を含め、この言葉で、苦しい想いをなさる方もいらっしゃるのは承知していますが、今回はごめんなさい。)

私は、母親からとても厳しく育てられ、その分、父親からはデレデレに溺愛されました。
もちろん私も、父のことが大好きでした。

でも、
私は、そんな父が自ら命を絶つまでに、たったの一度も「大好き」「愛してる」という言葉を伝えられなかった。ずっと、居ると思ってたんですね。
当たり前に、私の父として存在し続けると、信じきっていました。
だけど、父は嘘みたいに、あっけなく死んでしまいました。
永遠なんて、無いのです。そもそも、ずっと一緒なんてあり得ないんです。

実は、父が亡くなる1ヶ月程前から、何故か私は「パパが死んじゃうんじゃないか」という、漠然とした想いに捕われていました。
何の根拠も一切無く、ただただそう感じたのです。

それなのに、

私には、何もできなかった。何もしなかったんですよね。
あの日、もしも私が「パパ!大好き!」と、伝えていたら、きっと父は死ななかったんじゃないか。
今でも、私はそう思っています。
同時に、何もしなかった私こそが、父を殺してしまったんだという認識は、この先も消えることは無いと思います。

あれから20年以上の時が流れても、「自殺」という形で遺された私の悲しみは消えることはありません。

人は誰もが、いつかは必ず死にます。
自殺も自然死も、同じ「死」に変わりはありません。

だけど、自死遺族の苦しみは一生続きます。

私の場合。
病院で、父の死亡が確認された瞬間、私に対しての母の第一声は「自殺って人に言っちゃだめよ!」でした。
あの母の顔を、私は忘れることはできません。
「じゃあ、なんて言ったらいいのだろう…」
そんな想いのまま、隠れるようにひっそりと身内だけのお葬式を済ませ、仕事に復帰すると、色んな方から、慰めの言葉をいただきました。
当然「お父さん、お若いのにどうされたの?」と質問されることが、ほとんどでした。
その度に、適当なことを言って、父の死因をごまかさなければなりませんでした。
正直、父の死という現実の次に、これが私にとってはもの凄く辛いものでした。
私を心配してくださる人に対して、嘘をつくという罪悪感と同時に、それよりも父を「自殺」させてしまった、ひどい娘なのにもかかわらず、嘘をついて、周りから「お父さんを亡くして、可哀想な娘」として心配してもらっていることに、たまらなく自分自身を責めていました。
「違うんです!私が殺したようなものなんです!」と心の中で叫びながら。

また、それぞれの家族にもよるとは思いますが、親族の中では、まるで父の死が「無かったことのように」されてしまうことも、私にとっては苦しいことでした。
実際これは、私の家族の中では今現在も続いていて、親族が集まった場で、父の死について話すことは、暗黙のタブーとされています。
生前の父については話すことができますが、父の「死」について語ることは、許されない空気が漂っています。
身内の死を、家族の中で共有すること、これは喪失に伴う悲嘆を癒していくための、必要不可欠な人間の営みなはずですが、自死遺族には、これが許されないことが、稀ではないのです。

そして、「自殺」に対する世間の目。
これは、残酷な程に、私たち自死遺族に、重くのしかかります。
そもそも「自殺」という漢字をよく見てください。
病気で亡くなると「病死」、事故で亡くなると「事故死」、
それなのに、
自ら命を絶つと「自殺」自分を殺すと書くんです。
だから、私は通常「自殺」という言葉を使わず、「自死」という言葉を使うのです。

父を亡くしてから長い年月、私は、「生きる」ということを、一種の罰の様に感じていました。
世界一、私を愛してくれた父が、この世で最も私を苦しめる方法で、この世を去ったのです。
私を襲ったのは、果てしのない悲しみと喪失感だけではなく、父の愛情に対する不信感、さらに、自分自身に対しての怒りでした。
「こんな私は生きる価値がない、でも同時に、自分で死ぬ権利も無い。」
長年、こう思って生きてきました。

そんな私が、心の底から願っていること。

「誰にも、自ら命を絶って欲しくない。生きていてほしい。」

と、いうことです。

特に、死にたい気持ちに追い詰められている子どもたちを、放っておくことは辛すぎるんです。
私にできることなんて、無いのかもしれない。
ただ、死にたくなってしまっている子どもたちが、自分の大切な家族に、大好きなお父さん、お母さんに、私の様な苦しい想いをさせたくないなって感じてくれたら、って願っています。
同時に、これを読んでくださっている人たちが、「今、自分に出来ること」を、それぞれ考えるきっかけにしてくださったらと思い、今回のブログを書きました。

今、この瞬間に、「死んでしまいたい」と感じているあなたへ

こうして、あなたを想っている人間がいます。
人は、決してひとりぼっちじゃない。
それぞれの命を全うする日まで、一緒に生きていきましょう。
私にも、あなたが必要です。

 

名古屋 久屋大通
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心理カウンセラー 高木繭子

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